★舌食い池伝説
舌食い池伝説 |
塩田平では、農業用水を確保するために中世から数多くのため池が作られてきた。 手塚地区にある舌食い池には |
人柱伝説とは |
橋をかけたり堤を築くなどの大工事の完成を願って、神の怒りを和らげその恩恵を求め、あるいは神の領分を侵す人の贖罪のために人をイケニエとして捧げたというものだが、いったん工事が完成した後は二度と壊れる事はなかったとして人柱の終焉、すなわちそういう暴力の終わりをも伝えているのが一般的な人柱伝説である。 人柱が実際にあったことなのかどうかについては肯定論否定論があるが、伝説がどのようにして起こってきたのかに関しては、稲作の始まりが大きく関与している、すなわち「稲作は、はげしく自然と対立するものであったがために、自然(神)をどのように和め、どのようにして自然の力を人間の側に引き入れるかということが問題となり、神のもっとも喜ぶ捧げ物としてイケニエは準備されたのである。」@といわれている。 古事記等でも稲作の起源神話にイケニエが登場する。そこで「もともと伝承として発生しながら、常に生じる自然の猛威によって堤防や橋が壊された時には、語り継がれている人柱(人身御供)が想い起こされ、そうした伝承を根拠として、逆に現実の人柱を要求してしまい、ついには共同体の犠牲となって沈められる男や女たちがある時に生じたとしても、いっこうに不思議ではない、ということにもなり、そんな事はなかったとは言いきれない不気味さをもって今に言い伝えられている」@ということなのだそうである。 |
舌食い池伝説の伝えるもの |
「村はずれに住む…」という点について 「一人で住む」という点について 中世には山と平野の境の山の根や、坂などは、大自然と、人々の生活の営まれる世界との境と捉えられ、いわばそこは神仏の世界と人々の世界、あの世とこの世の境界域と考えられていたB。棄てられたこどもや身寄りのない人など、いろいろな事情で共同体から離れた人々が暮らすのは境界域だったとされC、また災害や飢饉や疫病で死ぬ人も多く、一人暮らしをするに至った存在は珍しくなかったのではないかと思われる。 「娘」という点について 神に対するイケニエという意味は、神に人の血と肉を供す、つまり神の食物としてささげるという意味と、その霊を神に仕えさせる、つまり妻妾奴婢として贈呈する、という二面があるといわれる。後者の意味では、供物は娘が適していると考えられる。 「自死した」という点について この伝説で不可解なのがこの点である。自ら望んで人柱にたった場合はもとより、捉えられて強制的に沈められた場合も、生きたまま埋めたり川に投げ入れたりするのが多くの伝説の伝える人柱の方法で、事前に舌を噛み切って自死したという譚は珍しい。本来生き埋めになるべきであるにもかかわらず自死したということは、白羽の矢がたったことを甘受したのではないことも想像される。 |
主な参考文献 |
@「叢書史層を掘る4 供犠の深層へ」 ―イケニヘ譚の発生−縄文と弥生のはざまに」―三浦佑之 |