第6回 小津安二郎記念・蓼科高原映画祭 2003.11.01

2003.11.07

小津安二郎プロフィール

1903年12月12日、東京に生まれる。1923年撮影助手として松竹キネマ蒲田撮影所に入社。1927年時代劇『懺悔の刃』で監督デビュー。『東京暮色』以降は蓼科高原(長野県茅野市)に盟友、野田と共にこもって脚本を執筆し、晩年の全ての作品が蓼科で執筆された。1963年12月12日、60歳の誕生日に逝去。

映画祭パンフレット

映画 高原のお嬢さん→

談話室から→

秋晴れの良い天気でした。あきこさん、夢百合さんと3人で、映画祭に行きました。オカケンさんもお誘いしたのですが、あいにくと研修旅行中のため、残念ながら不参加でした。(はじめは、月様観劇のお話をしましょうと『どこかでお茶を』だったのですが、私の夫が、大学の同級会で留守なのを幸いとして急遽、映画祭に行くことになったのです。^^;)

長野→(篠ノ井10:20)→(松本)→茅野12:42  茅野19:39→(松本)→(篠ノ井21:3)→長野

姥捨駅より千曲市を臨む

新星劇場(映画館)

街路の映画祭の立看板

上映日程表

お蕎麦やさん

映画の紹介ページ

8:50に家を出発。実家に車を置いて、屋代駅からしなの鉄道で、篠ノ井駅。JR中央東線「篠ノ井駅」から夢百合さんと一緒に電車で茅野へ。松本からあきこさん乗車。12:42茅野着。チケットを購入後、昼食に。茅野でも有名なお蕎麦やさんだそうです。おいしいお蕎麦でした。映画祭のスタッフの方も大勢利用されていた様でした。筒井道隆さんも見えて、会釈をしたら、笑顔を見せて下さいました。


帰りの電車を待つ間は、茅野駅ビル内のお店で、アップルパイとウーロン茶。映画を観ている時間以外は、3人で、ず〜っとおしゃべりをしていたような気がします^^。篠ノ井駅で、しなの鉄道との接続が悪く、(1分前に発車!)40分待たなければならなかったのですが、夢百合さんを迎えにいらしたご主人が、屋代駅まで送って下さり(方角は反対方面なのに)、予定より早く帰宅することができました。優しい夢百合さんご夫妻に感謝です。ありがとうございました。
帰宅は、22:15。介護の合間に、楽しい時を持つことができました。