|
|
1971.7 葵新吾 |
1999.12 葵新吾 |
昭和46年(1971)8月 明治座 | |
---|---|
<前売りの思い出> |
当日朝、明治座に並んでチケットを購入。7月の暑い日で、飲み物のサービスがあった。チケット販売窓口の手前で、舟木さんの新吾姿をプリントした団扇をいただく。しかも、団扇の一部にある色の印がついていて、その色によってプレゼントも当たった。特別賞は、前夜祭への招待。…私は、カメオのブローチが当たった。(これは今も大切にしている) |
平成11年(1999)12月 大阪新歌舞伎座 | |
---|---|
『26年振りで新吾に会える!』舟木さんいくつ?……違和感無し! <前売り> 電話予約をし、宅急便の代引にてチケット購入。便利な世の中になった。このシステムのお陰で地方にいても楽にチケットが手に入る。もっとも、発売初日は、なかなか電話が繋がらないが……。24日、端の方だが4列目をゲット。 <12.24 大阪へ> 名古屋から近鉄大阪線でアーバンライナーを利用、上本町下車。『都ホテル』にチェックイン。荷物を置き、難波へ。地下鉄御堂筋線難波駅からは、15番出口(だったかな?)からすぐ新歌舞伎座へ出られるのだが、近鉄難波駅からのアクセスに迷っていると親切なおじさんが、『地上に出て、外を歩いた方が分かりやすい』と教えてくれた。おっちゃんありがとう! <夜の部 観劇>
夫といっしょに観劇。前から4番目の席。最近は40〜50代の男性が客席に増えたように感じる。『薄桜記』とは、全く違うトーンの声。25歳の新吾、55歳の舟木さん。う〜ん、若い! きれい! 最後の母親との場面、泣けてしまった。隣を見ると夫の目も心無しか潤んでいた。 <終演後> 道頓堀を歩く。○○橋(忘れた)の上でグリコの看板をバックに写真を撮る。法善寺横町にて、『ぽんぽこりん』で美味しいお肴とお酒。水掛け不動さんにお参り。夫婦善哉のお店を見つけ喜んだりなど完璧なお上りさん。あちこち歩き回り、それから、開店したばかりという博多ラーメンやさんに入る。すいていたけどおいしかった。(都会は、何でも並ばないと用が済まない。トイレもレジもetc.) 酔ってもいたし、おいしい食事もして、まっすぐホテルに戻るのもおしい夜だったので、ホテルまで歩いて帰ることにした。『♪なんて素敵な夜だろう〜』(哀愁の夜)と歌いながら、腕を組んで………。これは、地元ではできないこと。旅先だからできる! 楽しい一日だった。翌朝、足が痛かった(^-^; <25日> 司馬遼太郎文学館に行きたいと姫路に行ったが、残念ながら、祝日の翌日のため休館。姫路城で遊ぶ。夜、夫の大阪の友人と旧交をあたためる。翌朝、早い新幹線に乗るので、新大阪駅近くのホテルに泊まる。 <26日> 朝、夫は昼からの東京での会議に出るためホテルを出て、8:53発の『のぞみ』に乗車。ここからは別行動、夫を見送った後、私は、念願の(『聖徳太子』を読んでから一度拝観したいと思っていたお寺)四天王寺を拝観。『お寺』のイメージとは、違った四天王寺に圧倒される。寺の前で釣り鐘まんじゅうをおみやげに買う。このあと、「新吾十番勝負」の楽を観に新歌舞伎座へ。(これ、夫に内緒なの)楽日なので開演1時間前に開場。幕あいに学生時代の友人のお姉さんと遇う。楽日ならではの進行に、楽しく観劇。終演は14:50。16:05の名古屋行きアーバンライナーを購入しておいたのだが、急遽15:05に変更。名古屋では、中央線の接続が悪く1時間待ち。駅構内を見学。名古屋―篠の井―上田と乗り継ぎ、上田駅前から車で我が家へ。21:30やっと帰宅。21:00頃、『箱入りOBASANが無事帰宅できたか』と夫が出先から心配して確認の電話があったとか………… |
|